チョコっと世界一周しちゃお♬

DREAMという世界一周コンテストに出会って、旅に出会って、人生が変わった女の物語。

【BackpackFESTAまで残り8日】過去が今をつくる

日直をそろそろ書こうと思って私の過去を書いていたら、長くなってしまったのと、ブログ更新してないこと気づいたのでそれをここに残しておきます。笑

 

中学での部活は今思い返しても二度と戻りたくない過去だししんどくて辛かったけど、直感的に肌間で生きる上で大切な学べたことも多くて、今の私の根っこの部分にもなってるのかなーと思った。

 

 

【中学生】

今までの人生の中で今でも1番苦しかったときだと思うし、でも1番の学びがあって私の根っこの部分を育ててもらえたな時間だったなと思う。

チームスポーツの部活に入るのが親からの絶対条件として出され、運動が嫌いで苦手(小学校のマラソンとかも学年でビリから5番めとかそんな感じだった)だった私は何も知らずに消去法でバスケ部に入部。が、学校で1番ハード(年に休みも4日くらいしかない)で県大会とかも行ったり、バスケするためにこの中学に転校したりする子がいるくらい強い学校だった。

そこでの経験を通して私が学んだ3つのこと。

 


①【楽しむことの価値】

先輩たちが引退してチームで100本連続シュートみたいな練習が始まると、毎回私がシュートを外すせいでみんなもそのキツい練習をゼロからやり直しになるみたいなことが続いた。そのうち、練習に行く度に「失敗したらどうしよう。みんなに迷惑かけたらどうしよう。」と、ストレスとプレッシャーで過呼吸を起こすようになった。今度は「過呼吸を起こしたらどうしよう」とまたそのプレッシャーとストレスで過呼吸になるという悪循環で泣く毎日が続いた。部活に行く私を見送る母も毎回本気で心配していて、なのに笑顔で「頑張ってね、大丈夫だから。」と言う顔は今でもとても切なかったなと思う。で、帰ってきたら帰ってきたで「あー明日も部活か、明日になって欲しくない」とあの頃の私は明日が来ることへの楽しみはゼロだった。

遂に部活を辞めるということを考えるのだけど、父に「部活を辞めるのなら仲間にもコーチにも全部自分で話して自分で責任を取るつもりで辞めなさい」と言われ、結局散々泣いて迷った挙句、当時の私は辞める勇気さえなくて続けることにした。

その時にひとつ心に決めたのが、「どうせやるなら楽しもう、楽しくやろう」だった。自分のせいで母にあんな顔をさせるのは本当に申し訳ないと思った。だから、せめて心配させないようにしたいと思った。最初は意識的だったけど、今まで目的もなしにただ練習に行ってなるべく怒られないようにと練習していたのが、「楽しくやる」という目的ができたことで、どうしたら楽しくなるかということを考えるから、ちょっとずつ本当に楽しくなっていた。プレーもなぜかちょっとずつ上手になっていった。楽しむことは全てが上手くいって、すごくポジティブな結果を生むということを経験的に学んだ。「楽しむ」という価値観が私にうえつけられた。それに明日が楽しいか、楽しくないか、「楽しみな明日」が来るかどうかは何をしているかじゃなくて、自分の意識と行動の問題なんだと思った。同じキツい部活をしてても本当に楽しそうにしていた子はいたし、同じことをしてても楽しめるかどうかは自分の意識と気の持ちよう次第なんだと学んだ。

 


②【可愛がってもらえる人になる】

ちなみに練習はめちゃ一生懸命に絶対に手を抜くことなくやっていた。笑


往復ダッシュとかもラインをしっかり踏んでからターンしなければいけないのに、早い子の中には結構適当で踏んでなかったりしたけど、1番遅いにも関わらず私は絶対に踏んでいた。今思えば「もっと器用に生きろよ!自分😂!」って思う。笑

 

まぁ手を抜かずにサボらずにやっていたのは、怒られるのが何よりも大嫌いで、嘘やゴマカシもできない小心者だったからっていうネガティブで不純な動機があったからってことも確かだったとは思うのだけど(笑)


でも、そのおかげでコーチには「はるは絶対に誰よりも手を抜かずにいつも一生懸命やっている」って褒められていた。

だからかコーチや親さんには下手だったにも関わらずなかなかに可愛がってもらっていたなと自分でも思う。笑 

チームの仲間にも可愛がってもらっていて、優しくしてもらっていた。私が試合に出ると、キャプテンの子は絶対に最高のパスをくれてシュートを打たせてくれていた。

上に書いたように本当にめちゃくちゃ辛かったのに、それでもチームで1番下手な私が結局3年間バスケを辞めずに続けられたのはこうやって、たくさん周りの人に助けてもらっていたからだなと思う。

 

そして可愛がってもらうって最強じゃん!と直感と肌で感じて学んだのもこの経験だったかもしれない。可愛がってもらっていると自分ができなくても、絶対に自分を助けてくれる人が出ててくるんだなと経験的に学んだ。

でも、人は勝手に可愛がってはくれない。可愛がりたい、助けてあげたいと思う人に自分がならなければならないということも同時に学んだ。そのために大事だなと私が思っていることは「嘘をつかないこと、一生懸命やること、見栄を張らないこと」。そして、可愛がってもらったり助けてもらったりしたことを、当たり前だと思わないこと。

手を抜かずに自分のできることを、自分のできる範囲で一生懸命やるってめちゃ大事だなと学ばせてくれたのもこの経験だった。

 


③【弱みと強みを認め、強みにフォーカスしようとする】

バスケがチームで1番下手でプレーの面では絶対に他の子に太刀打ちできなかったから、「自分に何ができるか」ってことを無意識か意思的だったのかは忘れたけど、考えなければいけない環境だった。でもだからこそ、じゃあ自分はどうすればいいのか、何ができるのかって考えて、一生懸命さでは負けないとか、誰よりも元気に応援するとか、荷物の準備を率先してやるとか、プレー以外のところでの自分の強みを見つけようとしたし、作ろうとしていたなと思う。

 


そしてそれらの「自分に何ができるか」という考えに行き着いた根本にあったのは「誰かに勝ちたい」「誰よりも上手くなりたい」とかいう競争心やプライドではなくて、「愛されたい、可愛がられたい」そして「助けてほしい」だったと思う。

元々、競争とか嫌いで負けず嫌いでもなくて平和主義者なところがあった私は「上手くなってやる!誰よりも強くなってやる!!」みたいな強い気持ちは今考えてもなかったなと思う。バスケというものがそもそも好きではなかったというのもあると思うけど。笑

今でもバスケは嫌いじゃないけど、そんなに好きではない。笑

痛い思いをして相手とぶつかってまで相手のシュートを止めたいとは思わないし、相手と張り合ってまでマイボールにしたいとは思わない。笑

つくづく、私はスポーツに向いていない性格なのだと思う。笑

 


部活をするまでは、だいたいのことは平均かそれ以上にできていた人生だった。

でも、部活に入ってバスケをすると自分が1番下手で自分にできないことの方がいっぱいあったし、それを認めなきゃいけなかった。

自分に出来ないことがいっぱいあると分かって、自分は弱いのだと認めると、次に私が考えたことは「どうやって強くなるか」じゃなくて、「どうやって助けてもらうか」「可愛がってもらえる人になるか」ということだった。そして、そのために「今の自分には何ができるか」を考え、出来ないことは出来ないと認めて、その分今の自分のできる強みにフォーカスしようとする癖がついたのは今でも私の中で生きていると思う。

弱い自分を認めて、味方してくれる仲間をつくり、人に助けを求める。そして自分のできることを精一杯、一生懸命頑張る。すると、周りの人に対しても感謝でいっぱいになった。その人のために頑張りたいと自分の更なるモチベーションにもなって、より一層一生懸命頑張ることができた。自分の力だけで生きようとするんじゃなくて、誰かに可愛がってもらいながら人を頼って生きていくことも悪くないなと学べたことは自分の中で大きな学びで、今でも私の中に生きている大切な価値観となっているかもしれない。

 

 

はい。こんな感じでポンコツえみりーは生まれました。笑

 

以上!

 

 

BackpackFESTA名古屋まで残り8日!!!

あとちょっとがんばろうね。そして楽しもうね!!

 

 

えみりー🍫